コラム 雁皮(がんぴ)
プロデューサー兼監督 川瀬美香
越前和紙 福井の山からきました「雁皮」約12kg
越前和紙ってご存知ですか?
中世の武家支配の時代、主君が臣下に出す命令や伝達を近侍者がしたためて発行する「奉書」という書式がありました。
この「奉書」の公用紙として、最もよく使用されてきたのが越前和紙との事。
まず多くの人は「越前」という土地はあまりピンとこないですよね。
ここで越前を書いてみようと思います。
越前といえば、水だろうか?
「越前そば」
日本海に面した越前。
冬ともなればぽとぽとと雪が舞い山の景色もすっかり険しくなります。
道路には昼夜凍結を避けるために地下水をスプリンクラーのように激しく道路にまいてる景色に出会います。
それだけでもこの土地の湧き出る豊富な水を想像させます。
その昔、越前にはいくつかの街道がありましたが、険し山々を超えるために里にはひっそりと宿場がありました。
京都へ向かう鯖街道もそうです。
そのひとつに北国街道に今庄宿というものがありました。
現在ではそこは北陸線の特急電車も通過する小さな駅・今庄駅。
近辺には宿や酒屋が並んだ面影が残っています。
今庄駅に静かにたたずむ一件の蕎麦屋「ふる里」
越前には「越前そば」という大根おろしをかけていただく蕎麦があります。
寒い冬に温かい出汁でいただく越前ソバはそれはもう絶品。
やはり水がいいのだろうか・・・ 今までの人生で食した蕎麦の中で一番美味いと私は思う。
食べ始めてから慌てて写真を撮る事に気付いたもので食べ中写真で失礼。
今庄駅には商店がありませんので場所はすぐわかると思います。
それでもわからない場合はどうにか人をみつけて聞いてください。
それで「越前和紙」とは?
歴史は前記にあるように武家の時代からある「越前和紙」ですが、現在は福井県今立町にある5つの里で「越前和紙」は作られてます。
そこは山間の狭い谷あいにあって、田も畑もほとんどありませんでしたが、和紙の原料となる楮や三椏、雁皮などの樹木と、良質な水に恵まれていたため、人々は古くから和紙づくりを生業として営んできました。
京都に近いという地の利が、その技術をいっそう磨きあげたようでもあります。
越前和紙は主な原料に楮、三椏、雁皮を使用します。
今回はその雁皮(かんぴ)です
ちなみに雁皮ってwikipediaでは・・・? ガンピ(雁皮)はジンチョウゲ科ガンピ属の落葉低木。
奈良時代から製紙原料として用いられています。
遣唐使と共に唐に渡った最澄が、わざわざ土産として筑紫の斐紙(雁皮紙)を200張り持参しています。
紙の先輩国である中国に、土産として持参できるほどに高い評価を得ていたことになります。
平安期の公家の女流詩人たちに、かな文字を書くのにもっともふさわしい紙として愛用され、中世から近世にかけて、鳥の子紙の名で紙の王としてその名を知られています。
ガンピの名の由来は、カニヒ(伽尼斐)という植物の古名から転化したという説と、カミヒ(紙斐)が訛ったともいわれている。
・・・などど表記されてますが、地元の親父達は確かにこの植物の事を「がんび」と言っていましたが方言ですかね。。。(汗)
一般の人への「越前和紙」への入り口として、福井県越前町に「越前和紙の里」というものがあります。
http://www.echizenwashi.jp/
ここは和紙という伝統工芸に触れる事ができる環境で、和紙づくりが体験できたり、和紙の歴史を調べたりできる資料館があったり、お買い物ができたりします。
ちなみに私の名刺の元の紙はこれです。
ここで購入しました。
こんなに綺麗に和紙がつくれるなんて夢のようです。 職人さんってすごい。。。
かつて日本が土地のものを工夫し使用して暮らしていた生き方は、現在では実は素朴という印象を通りすぎて豪華になってきてしまいました。
こういう伝達が無くなるギリギリの時代に私たちは生きているように思うのです。
これまで当たり前だったようにそこにあったものを輸入に頼っている事や、人の手で時間をかけたつくりを捨て機械で大量に作る事を選んでしまった時代の残骸が、今日になっていろいろな障害となっていろんな方面にポツポツとでてきているって、誰もがうすうす気がついてきていませんか?
日本の伝統工芸、生活のものたちや素材たち。 大事に見つめていきたいと思うのです。
都市部優先的、効率一番的思想が失った日本のくらしの姿を見直して確認してみませんか。
外国にもし日本の文化を紹介するとして、秋葉原や渋谷、電気商品や機械もいいけれど、日本の土地や人の生活が育んだストーリーも紹介ができたなら・・・。
永い時間を刻んだ日本という島国の文化とは、まだまだ深くて多くの見つめていない発見がある事と思います。