理解されないおもい

自主製作という理解されない活動を続けている。

現在の日本では、商売をして儲けるというのが最も社会的価値が高い活動であるとされているようだ。私たちのような貧乏な活動では、公金の支払いが遅れたりするから悪者として扱われている。事情を説明しても払えと言われるだけ。結果的に、儲からないことは悪いことという日本の政府機関の思いが民間の委託業者へと受け継がれ、悪い芽は摘むという行動に現れている。助成金や補助金さえも悪を排除する方向になっている。

なんて活動し難い国なんだろう。

芸術作品も、ここでいう悪でないでない優秀な人たちには単なる投資対象でしかなく、損をしない(させない)というのが作品にたいする価値であり信頼なのだという。マネーゲームのために作品をつくっているわけではないはずだし、作品に込められた物語を理解もせず、金を出した者が勝手な解釈をするという、作品よりもお金の価値が高いという思考。お金という概念を使って全てを征服しようとする暴君たち、時には宗教さえも国土さえもお金で支配しようとするしまつ。さらにヘンテコだと思うお金の在り方は、自分のお金なのに出し入れするのに手数料がかかったり時間制限をかけたりする銀行という事業、妄想で不安をあおりお金を集める保険という事業、偏った統計情報で手数料をとる投資事業などなど、お金というもの以外に現実の価値が見当たらないこういったものごとに、いつから私たちはこういう思想に疑問を持たなくなったのだろう。

そろそろ、先代から続き伝承されてきた妄想を変革する時なのではないだろうか。

たしかに、暴力による権力の主張に比べれば、お金の方は殴られたりしないので優しいと勘違いしてしまいそうだが、暴言(言葉による暴力)の苦痛と同じくらい貧困は苦しいものである。稼げないのを人のせいにはするつもりはないが、そんなに稼がなくても悪人呼ばわりされたくはない。まずは、こういう社会の概念を構築したシニア世代から権力も価値も奪ってしまい、未来のために貢献することに注力するよう変革すべきだと感じている。さらに、生きるということを、政府や法律、社会が制御するのではなく、個人の意思に返すべきだと考えている。そうしたうえで、私たちは作品をつくり、個人個人それぞれの個性のもとに感じるものを提供できるようになればいいなと思っています。

ここまで変えていかないと、作品をつくるということが理解されない現在。

道のりはまだまだながいけど、死ぬまでやめないという馬鹿がいてもいいだろう。

 

 

今日はこの辺で。

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