言葉

私たちは映像を使ってメッセージを表現します。

しかし、制作はひとりではなく専門のオペレーションスタッフ(企画、撮影、録音、照明、進行および記録、フォーマット、編集、音楽、ミックス、カラコレ、ナレーション、テロップ、グラフィック、仕上げ、メディア化など)がいるので、監督(またはディレクター)から言葉(文字)で指示をもらいます。

指示を出す側も指示を受ける側も、言葉(文字)でやとりをし、その集大成として映像(作品)がうまれてくるのですから、極端なはなし、全員が作家のように言葉(文字)を使えるようになっていなければ、どこかで妥協がしょうじてしまうと思います。

映像制作にかかわるスタッフの専門分野以外は、社会や文化や倫理などに疎いひとがそれなりに多く見受けられます。こういう人たちは企画制作の意図を忠実に再現することに向いているとは言い難く、妥協する要因になってしまいます。

言葉(文字)のやりとりが苦手な人は、ひとりで活動されるほうがその専門性を発揮できると思います。画家や写真家、彫刻や陶芸家などは感性や発想などをひとりでこめることができると思います。最近のWEBの動画などは予算の関係などからひとりでつくることが多いと思いますが、これはクライアントが発注元なので言葉(文字)のやりとりが必ず必要になります。

 

国語というものの勉強としてとらえると、作文を書いたり感想文を書いたりするものの、言葉(文字)で伝え言葉(文字)を受けるという練習ではなく、国語の点数を高くすることに注力されるため、生まれて育てられた親の(国の)言葉(文字)であっても、国語と言われると好きにはなれないことが多いような気がします。

 

それでも、表現する者であるならば、本の1冊でも書いて言葉(文字)の訓練をうけてからにして、と思う今日この頃です。

(とはいえ、私たちも常に訓練しながら、辞書で調べながら、表現の完成度を高めようと努力しています)

 

 

 

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