伝統と進化

 新型コロナウイルスの影響で、「人と会って仕事が生まれ、商品やサービスをつくる」といういままでの概念を、根本から考える機会を得ました。

それまで経済的なことを指数として判断していたことが、商品やサービスの高い品質とその品質を得た満足感、つくる側も品質を高めることで得る満足感という指数にとってかわったと思っています。つくる側も本来良いものをつくる欲求がありましたが、予算や期間や得られる収益の計画によって大きな影響を受けていました。かといって、予算が多ければ必ず良いものがつくれるというわけでもなく、時間さえかければ解決する訳でもなく、技術やプロセスにおける進化を取り入れることで良いものがつくれたりします。伝統的なことをまもるだけではなく、進化することで良いものがつくれるということを、約2年もの時間をかけて考えることができました。ここでいう伝統的とは、昔ながらの技法や素材というだけではなく、「こうなんだ」という概念や思想も含めてのことです。

 

「伝統」という言葉が、伝統文化にたずさわる人以外からもSNSやブログ投稿などで散見されるようになってきました。伝統って、技術や技や精神性以外にも、組織のあり方や人々の行いに関しても暗黙のルールやシンボルのようなものとして使われたりしているようです。数十年続く会社や団体などでも、我が社の伝統とかいう言葉を目にします。その伝統を守ろうとすることが、この時代に大きな足かせになっていることを、なぜ優先的に考えないのか疑問に思います。労働は酷使され、男女や年齢で差別され、業界の構造のせいで中間マージンを収益計画から排除できずにわずかな予算でつくることを強いられ、そのかわり収益だけは成長しろと命令されたりしています。労働者だって、賃金はコロナ禍で高い要求できないことは理解していますが、それ以外にもその仕事の質を高めたいと思うことや、満足感だけでも得たいと望んでいることに応えられているのは、極々一部のみだと思います。伝統というのは、時代に合ってこそのことだと思っていますので、伝統こそ「進化」すべきと考えます。

「進化」は科学のことではありません、ITやネットを導入することでもありません。すべての質を高めるための術だと思います。科学やITやネットで原価や販売に影響するかもしれませんが、質を高めるとは違います。技術や技や精神論も組織も以前より良くなってこそ進化だと思います。

 

 映像制作に関しても、労働環境や差別の改善、十分な予算をなどという働きかけをする団体などがありますが、問題はそこだけではなく産業構造から変えないといけないと思っています。商品の製造販売に関しては、2000年のはじめのころに流通のあり方が問われ、それまでの伝統を進化させるために、中間マージンを抑えるという改革が進みました。卸し問屋などは打撃を受けたと思いますが、それを存続することが伝統を守るということだったのでしょうか。

また、映画を観るお客様も、ネットによって個人の感想や要望を製作側にダイレクトに届くようになりました。お客様の声は大切ですという製造業、確かに売れる(買って頂く)ためにはとても大切だと思います。しかし、つくる側の思いとしては、質の高い作品をつくるというのが、つくり続けるためにあるべき目的だと考えます。質を高めるための感想や要望などは、日本においては師匠や上位の経験者からしか得られないのが現状です。是非、質を高めることにつながり目利きのできる評論家、審査員、支援者、視聴者がもっと多くなればと思います。欧州のオペラなどは、目利きのできる支援者や視聴者を納得させるために、常に質を高い作品をつくることで、その伝統を継承しているよい例かと思います。

 

 いま映画産業では、収益構造からみると映画館の収益割合が一番高くおおよそ50%、宣伝配給がおおよそ30%、製作が残りだいたい20%となります。この製作の20%相当の収益を、制作に関わる人たちに全てに分配しても、係る期間や技能を満足するだけの報酬にはなりません。大ヒットと言われるような年間の総映画数の1割にも満たない映画だけが、ある程度満足のいく報酬を払えるだけの収益を得られることになりますが、そのごく一部に関して、男女や年齢や職種による差別や超過勤務の不満を解消すべく、団体が働きかけても、氷山の一角として受け止められその多くは放置となります。映画が好きという思想だけで耐えることができる人だけが制作に関与しているという状況だと思います。予算は別にしても、この状態で質の高い作品が制作できるのか、疑問です。むしろ、先ずは売れる作品を制作して、十分な予算を確保したいと働いてしまうのではないでしょうか。

この古くからある産業の構造を伝統として守るとしたら、常に右肩上がりで質の高い作品をつくり続けることができるのでしょうか。私たちは、伝統を進化させることが必要だと真剣に考えています。映画館にも配給会社にもお世話になっているし、敵対しているわけでもありません。しかし、それぞれが長年継続してきたことを進化させる時だと思います。

 

 このような「伝統」という言葉も、その多くは年齢高い方が言う機会が多いように見受けられます。それに対し、ネットでは年齢の高い昔ながらの思想でものごとを判断し、差別し、評価するのを「老害」と言っています。伝統を守るという建前で進化を妨げることこそ老害だと思います。老害は当人の現状を守るため、次の世代や孫の世代に負担をかけことに目を向けないようにしています。産業に関しても政治に関しても法律や社会においても、何が原因とは言いませんが、老害が蔓延してきています。長きにわたり生きて様々なことを経験した結果の思考なので、老害は故意によるものであることは間違いありません。老害も進化させる時が来たと思います。私たち自身時間とともに高年齢化し加害者になっていくわけですから、いますぐにでも改め、法律も社会も教育も政治も産業も「進化」するようにしなければならないと思います。

 

 2022年、収益を上げるという全ての思想を、質を高める思想に変化することこそ、大事なことだと考えます。省庁や地域団体をはじめ支援団体や支援者、視聴者も、単に売れる要素が高いという方を推し進めるより、進化しようとしているところを見極めて、質の高い作品づくりを応援できるようになってほしいと思います。全ての生物が環境にあわせて進化し続け生存していくように、人類も進化し、その文化も芸術も産業も消費者も進化しなければならない時がきたと思います。