数字に惑わされないで

コロナウイルスや経済不調の波、日本国全に大きな打撃となっています。そのハンドリングのミスを引き起こした現在の政府、それを批判するネット民、それでも指示し投票する洗脳されたシニアの民。こういう民衆の声の選択や判断を、ニーズという言葉に置き換えビジネスに転化しているけれど、実際の良し悪しを個人個人が選択した結果ではない。

このことは、政治などに限ったことではなく、書籍や映画や番組などの素人評論にもあらわれている。素人評論家は客観的に平等(公正)に書いているわけではなく、個人の好き嫌いの感情が前提となっているので、偏った評論になっている。これらの言葉があたかも信憑性を高めているかのように見えてしまうのが、SNSのいいねやハートマークの数である。数が多いと信頼できるような錯覚に陥いり、そうなんだと根拠もなしに納得させられてしまう。

常に自分で考え選択し判断する習慣がある人はまだまだ少なく、仕事や家庭で忙しくしているひとは、仕事や家庭内のことを考え選択し判断するだけで相当なエネルギーを消費するので、直接携わってない政治のことや、私たちがつくっているような映像作品のことなどは、可視化された数で簡単に偏って認識してしまいがちである。それが、マーケティングと称して意図的に操作された「数」であっても疑いようがない。

そういう操作を見抜く方法を頭のいい人が提供してくれればいいと思うが、いまのところないようだ。かといって全ての情報を考え選択し判断するなどのエネルギーは1日の睡眠で回復するエネルギーだけではきっと足りないと思う。そういうなかでどうすべきかというと、数とかの多い少ないではなく、これまでの経験や見たり読んだり調べたり受けた教育からの「直感」で良し悪しを判断すべきであると思う。とすると、勉強も経験もつねに偏らない平等(公正)にものごとを見聞きし考えることが大切になってくるのである。

いまは様々な事柄で多様性を認識し受け入れるようにと言われる時代、もう一度平等(公正)にものごとを考え判断する教育をすることが、日本人には必要と思います。それは、映画をつくる側だけではなく、観る側にも大事なことだと思います。その結果、日本の文化や芸術の質が底上げされていくと思います。

 

 

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