新型コロナウイルスから考える

2020年の2月から感染が拡大しはじめ、3月の春分の日になっても終息することなく世界中を混乱させている新型コロナウイルス。

感染拡大を防ぐために、学校は休校になり、人が集まるイベントなどは延期または中止がやむを得ない状況となり、外出もできるだけ控えるようにということで、経済活動の消費が減少、それに伴い、不要なコストを減らすために人件費が対象となり、結果、仕事を失う人が増加している現状である。

そんななか、芸術関連の団体はとくにその影響が大きく、もともと日本では支援が薄い文化芸術系は支援要請を申請してみるしか存続することも難しい状況となっている。音楽を含めた文化芸術系の活動は常にさげすまされる傾向にあり、人が集まることでウイルスの感染を拡大させた悪者のようにメディアから扱われている状況だ。

さて私たちはどういう対応をとるべきだろうか。仕事のすべてを延期、中止していたら組織も個人も耐えられなくなってしまう。かといって、私たち以外の者をウイルス感染させるわけにはいかない。ここで、私たち以外の者たちを整理すると、仕事が中断しても十分な財産があってこういう状況下で時間を持て余している少数の人々と、仕事が中断してしまい収入が途絶え文化芸術などに向かう余裕すらなくしている多くの人々、とにわかれると考えた。そこに来てウイルスに感染してしまったらと仮定したら、財産がある者たちは優秀な病院で保険適用外の治療も受けることができると思うが、収入が途絶えてしまっている人々は健康保険があったとしても保険適用内でのささやかな治療しか受けることができないだろうと思われる。

私たちの作品は、本来なら仕事にも生活にもがんばっている大勢の人々に観てもらい、日々の暮らしや仕事へのなんらかの価値(美意識的感性)を受け取ってもらいたいと思っているが、いまこのウイルス騒動のなかではなにかを提供することでお互いにマイナスになってしまうと思われる。それ以外の余裕のあるみなさまへ提供したらよいのではということになるのですが、私たちの作品が、彼らが求めているだろう娯楽になりうるかと言われれば、スポンジのように吸収する感性を持ち合わせている人には楽しんでもらえると自負できるが、文化芸術をおざなりにする(経済活動最優先の)この国の風潮を思うと、吸収できる柔らかな感性は期待できないと想像できる。

だったらどうしたらいいのか。この国はドイツのように文化芸術を守ると宣言してくるわけもないことは確かである。残るは、私たちの本業をいままでとは違うスタイルで(イノベーションし)活かす方法を構築し展開するか、文化芸術を理解できる(文化芸術を支援することがステータスであるという)国の余裕がある者から支援してもらうかということしか、いまここでは思い浮かばない。さらに、いま経済的なダメージをうけているなかで、質(美的感性)を落とさずにつくることができるか、という心配もある。そこはこれまでの自主製作というなかで鍛えられているものの、商用消費の娯楽のみの作品にならないように意識してつくることが大切である。

インフルエンザの流行で仕事を休む人が多いというのとは違い、国が休校、中止、延期、外出を控えろなどというこの状況からくる負の連鎖は、かなり厳しいものである。いっそ全てスクラップ&ビルドしてしまうのが、未来に向けて、未知の困難を乗り越えるための準備になるかもしれないと考えるのもありだと思うようになってきた。元に戻すことを考えるのではなく、先に進むための変革をすべき時なのかもしれない。

 

今年一年生き残ることができたら、きっとそこにこの(上記の)答えがでていることだろう。

 

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